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「確実に儲かるビジネス」これがダイナース創始者達の目標だった

「確実に儲かるビジネス」これがダイナース創始者達の目標だった

ダイナースクラブが、クレジットカードを世に送り出した事は、みなさんご存知の事だと思います。

創始者は、フランク・マクナマラ、ラルフ・スナイダー、アルフレッド・ブルーミングデールの3人である事も、ダイナース(Diners)の由縁も食事(Dinner)が起源である事も広く周知されている事です。

「現金を持たずとも支払いが出来れば・・」レストランで思いついたアイデアが、ダイナース発祥の起源とされています。美談のように語り継がれて来ていますが、本当は、単純な思いつきなどで無く、計算されたビジネスプランだったようです。

創始者達の紆余曲折な人生を、ダイナースが発祥した当時のアメリカの時代背景を合わせながら解説して行きたいと思います。

創始者の3人は、元々裕福な上流階級の人間だった

ダイナースが創立されたのは、1950年アメリカのニューヨークです。1945年に第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が終結してから、5年後です。

この当時のアメリカは、第二次世界大戦の幕引きを行なう為、各国との条約提携を進めていて、アメリカ国内では白人中流階級にとって「繁栄の時代」と呼ばれるほど、中流階級による消費が盛んだった時代です。

そんな時代の中、ダイナースを発足させた創始者達は漏れなく、繁栄の人々の中でも上位にある、裕福な上流階級出身の人間だったのです。

アルフレッド・ブルーミングデール ~有名デパート創業者の孫~

創始者の1人、アルフレッド・ブルーミングデールは、現在もアメリカ国内でチェーン展開を行なっているチェーンデパート、ブルーミングデールズ (Bloomingdale’s) の創業者の孫です。

当然ながら上流階級の申し分のない家柄で、ユダヤ系でありながら対戦中ドイツからアメリカに渡り、持出した財力とヨーロッパ圏とのネットワークを上手く活用して、戦中からヨーロッパの衣料品を販売する店を始めたのが、ブルーミングデールズ の始まりと言われています。

対戦中に、このようなヨーロッパの衣料品を購入できる層は、上流階級や軍関係者であった事から、地位と財を築きあげる事が出来たのでしょう。

そんな家柄に生まれたブルーミングデールは、誕生した時から上流階級の家系で育つ事となった、紛れも無いサラブレットだったのです。

フランク・マクナマラ ~金融会社社長~

ダイナースの誕生秘話に主役として登場するのが、フランク・マクナマラです。諸説色々あり、誕生秘話も脚色が施されて「マナクラが財布を忘れた・・」事から、ダイナースの歴史が始まったとされています。

そのフランク・マクナマラは、元々金融会社であるハミルトン・クレジット社の経営者だったのです。

当時、金融会社を経営するには多額の資金が必要でした。その資金を調達出来ていたという事は、マクナマラも上流階級の人間だったと証明される事となります。

実は、マクナマラが登場する誕生秘話は偽りであり、本当のダイナースクラブ誕生の物語は、別の意味の内容だったのですが、その事については後ほど詳しくご説明しましょう。

ラルフ・スナイダー ~フランク・マクナマラの担当弁護士~

最後に登場するのが、ラルフ・スナイダーです。ラルフ・スナイダーの職業は弁護士であり、当時マクナマラの担当弁護士をしていました。

現在では、アメリカの弁護士は100万人を超え、高いステイタスとは言えない状況にあります。しかし、1950年当時に弁護士の資格を持つという事は、数少ないロースクールに進学し、色んな経験を積まなければならなかったはずです。

従って、豊かな経済状況でなければ、弁護士の資格を取得する事は出来ませんでした。

この時代に、弁護士と言う職業に就いていたラルフ・スナイダーも、上流階級に属していた人間と見て間違いないと思われます。

ダイナースと2大巨塔のステータスカード!

ここで、ダイナースの高いステータスに並ぶ、もう一枚のクレジットカードをご紹介しておきましょう。

ステータスの高さでダイナースと並ぶブランドカードは、アメリカンエキスプレスゴールドカードです。

アメックスゴールドカードは、ゴールドカードにも関わらずプラチナカードレベルの高いサービスが付帯します。

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ステータスの高さはダイナースと並ぶものの、審査のハードルはアメックスゴールドの方が低く入会しやすいと言われていますので、ステータスカードをご希望の方にはおすすめですね。

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F・マクナマラとR・スナイダーの関係はクライアントと弁護士

さて、ここで先ほど少し説明しましたダイナースクラブ誕生秘話について、新しい事実を解説していきたいと思います。

先ず、誕生秘話の主人公であるF・マクナマラとR・スナイダーの関係は、先の創始者紹介でも触れましたが、金融会社の経営者と、その担当弁護士の関係であったのです。

創始者にはA・ブルーミングデールも加わっていますが、誕生のきっかけとなったのは、F・マクナマラの金融会社ハミルトン・クレジット社の業績不振から始まったのです。

ハミルトン・クレジット社の業績不振を相談していた

ダイナースクラブが誕生する1年前の1949年、確かにニューヨークのレストランで、F・マクナマラとA・ブルーミングデール、R・スナイダーの3人が会食をしていました。

しかし、単なる会食ではなくF・マクナマラが経営するハミルトン・クレジット社の、経営不振を打開する為の相談を行なっていたのです。

A・ブルーミングデールは、F・マクナマラの友人であり経営困難にあった、A・ブルーミングデールの良き相談相手だったのです。そして、打開案実現の為、担当弁護士のR・スナイダーも同席しての会食でした。

F・マクナマラの負債は35,000ドルもあった!

上流階級に属していたF・マクナマラが、経営困難と言うほどの負債額は、35,000ドル。現在にしてみれば、日本円換算で400万程度なので「このくらいの金額で、上流階級の人間が困るのか?」となるのですが・・

当時の為替では、1ドル360円固定だったので、1,260万円となります。現在の物価で考えれば、この金額を聞いても「そんな大きな負債ではない・・」そう思いますよね。

1950年当時の物価で考えて見ましょう。日本では当時発行された硬貨の最高額が5円です。紙幣では1,000円札が最高額です。サラリーマンの給料が13,000円程度、葉書の値段が1枚2円でした。葉書の金額で見ると40倍になってきます。

40倍は行き過ぎですが、給料から推定すれば約15倍~20倍と言うところが、妥当だと言えるでしょう。そうなると、負債額は1億9千万~2億5千万となり、当時の個人事業としてはかなりの負債額だったと言う事が判ります。

ハミルトン・クレジット社の金融商品とは・・

では、ハミルトン・クレジット社が取り扱っていた金融商品とは、どんな商品だったのか?

それは、今では当たり前になっている「お金の貸付」だったのです。

しかも、お金持ちに対してでは無く、信用力の低い貧困層への貸付が主力商品だったようです。実際には、ハミルトン社が直接、貧困層へ貸付を行なうのではなく、一旦、貸付業者に融資を行い、その貸付業者が貧困層へ貸付を行なうシステムだったようです。

アイデアをF・マクナマラが提案し、金融業者の裏で動いていた訳です。

F・マクナマラのアイデアは、当時斬新なアイデアであり、多くの貧困層から需要があったようです。しかし、このアイデアには大きな欠点があり、それに気付いた時には、多額の負債が発生する事になっていたのでした。

F・マクナマラのアイデア

F・マクナマラの金融商品のアイデアは次のようになっていました。

  • Aは、貧しくて薬を買うお金がない
  • B社はAの保証人になり、薬局はB社の信用でAに薬を販売する
  • AはB社に対して、利息を上乗せした金額を分割で支払う
  • 薬店は手数料は取らないが、一定期間内でB社に支払を要求出来る
  • ハミルトン社は、B社に対して融資を行い利息の一部を上乗せして返済してもらう

まさに、現代のクレジットカードシステムと同様ですね。しかし、F・マクナマラのシステムには、大きな欠点が存在している事にお気づきでしょうか?

そうです!現代で言う与信を行なう事無く、貧困層に貸付を行なっていた事です。

第一に、B社を頼らないと薬を買う事も出来ない収入の人間が、一定期間内で利息を上乗せして返済を行なう事自体が無理な状況だったのです。

結果、B社の回収が思うように行かない為に、ハミルトン社への返済も滞るようになってしまったのです。今で言うところの、「不良債権」ですね。

1950年当時、中流階級以上とそれ以下の階級では、収入の開きはとても大きなものでした。上流階級のF・マクナマラには、小遣い程度の金額でも、貧困層が得る収入の数倍の金額だったのです。

そのギャップに気付かないまま、商売を続けたことが経営困難に陥った大きな要因になってしまったのです。

3人が考え出した結論は、儲かる新しいビジネスだった

議論を重ねる3人は、新しいアイデアを浮かび上がらせたのです。先ず、経営困難に陥った原因を究明し、間違いに気付きます。

3人が気付いたF・マクナマラの間違いとは

話し合いの中で、3人が気付いたF・マクナマラのアイデアの欠点とは、次の問題でした。

この内容は、現代のクレジットカードシステムの与信と言う、システムの核になる部分を言い当てています。

  • 返済能力のない相手に貸付を行なってしまった事
  • 必要に迫られる借り手は、ランダムに借入を行なうため管理が出来ない事
  • 大金は貸さない代わりに、事業規模が小さくなり利益が上がらない事
これらを踏まえた上で、思いついた新しいアイデアは、「チャージプレート(掛け買い許可証)」を他人に貸し出すアイデアだったのです。

3人が会食していたレストランでは、常連客はツケで食事をする事が出来ていました。裕福な常連客は決して滞納する事無く、後日支払を済ませている事に気付いたのです。

返済能力のある人間に対して、掛け買いが出来る事を証明すれば、「どの店でもレストランの常連と同様に、ツケで買物が出来る!」そこに目をつけたのでした。

アイデアのポイントは、裕福な人間が対象である事

つまり、裕福な人間はいつも通う馴染みの店では、ツケが聞きますが、初めての店では、正体はわかりません。店側も、「自分は裕福な人間だから信用してツケで飲ませてくれ」と頼まれてもOKするはずはありませんよね。

そこに、3人は目をつけたのです。

  • 自分達の会社が、裕福な人間である事を証明する。
  • その証明に「チャージプレート」を貸し出す。
  • 店へのツケは、先に自分達の会社が店側に支払う。
  • ツケをした人間は、7%の手数料を上乗せして自分達の会社に支払う
  • 裕福な人間は、支払を拒む事は無いので確実に儲かる!

このアイデアを思いつき、現在のクレジットカードビジネスの基本モデルが誕生する事になるのです。

このビジネスモデルのメリットは以下の内容です。

  • 顧客側は、ステイタスの証明をしてもらえるので提携店全てで常連扱いとなる
  • 店側は、新規顧客の取得を労を要せず行なう事が出来る
  • 会社側は、貸付利息として事前に手数料を上乗せするので損はしない

まさに、「確実に儲ける為のアイデア」が誕生した瞬間だったのです。

ダイナース誕生秘話は、実は計算された儲け話だった!

これまで、美談として語り継がれて来た誕生秘話は、ホントは経営困難を打開し、確実に儲かるビジネスモデルを話し合った結果、ダイナースが誕生したと言うことになります。

「現金の持ち合わせが無いと言うだけで、恥ずかしい思いを他の人にさせたくない」この美しい話は、見事に消し去られる事になってしまいました。

これは、ルイス・マンデル著の「アメリカクレジット産業の歴史」に記されていることで、かなり信憑性の高い情報となっています。

これまでの誕生秘話は、世間が作り出したものではなく、ダイナースクラブの広報係りだったM・シモンズが、PRの為に新聞記者に話をした内容が、これまで語り告がれてきたのでした。

発足当時の創始者の資本投資割合

アイデアを思いついた翌年の1950年、ダイナースクラブは誕生します。発足当時の3人の資本投資の割合は次のとおりだったようです。

  • フランク・マクナマラ 70%
  • ラルフ・スナイダー 15%
  • アルフレッド・ブルーミングデール 15%

発足の原因となったハミルトン社のF・マクナマラが、やはり筆頭であったようです。実に70%もの投資を行なっています。ここで、一気に負債を取り戻す予定だったのでしょう。

ダイナースが作り出したのは、画期的なT&Eだった

ダイナースが作り出した分野は、画期的なT&Eでした。T&Eとは、「トラベル&エンタティンメント」の事で、旅行に対する保険サービスが充実していたり、エンタメつまり、観劇のチケットの取得や、レストランの手配などをサービスとして行なう事です。

現在では、ダイナースクラブとアメリカン・エキスプレスがT&Eの代表格でしょう。インフラが整備されていない発足当時に、このようなサービスを思いつく発想は素晴らしいと思いませんか?

もし、ダイナースがT&E分野を開拓していなければ、現在のクレジットカード付帯サービスはなかったかも知れませんね。

発足から、7年経過する1957年までは、T&E分野ではダイナースの独占状態にあったようです。しかし、アメリカン・エクスプレス社が誕生し、ダイナースと競合関係になり、このころから次第に陰りを見せる事となって来たのでした。

ダイナースのステイタス主義は現在も生きている

ダイナースが「確実に儲かる」としたのは、低所得者をターゲットにするのではなく、裕福な人間をターゲットにした事でした。

現在でも、ダイナースの審査は厳しい内容であり、ダイナースクラブのクレジットカードを所有する事は、ステイタスの証明としても使われています。

1969年 創始者達の歴史は終わった

発足から、たった19年で創始者達の歴史は幕を下ろすことになります。3人で出し合ったアイデアを元にダイナースを誕生させ、画期的なシステムを作り上げて、クレジットカード業界の覇者として君臨した創始者達。

元々上流階級出身だった彼らは、素晴らしい栄華を極めた事と想像します。しかし、現実は栄華とは程遠い「苦悩の日々」を送っていたのでした。

想像し難い彼らの人生を、今一度、振返って見てみましょう。

F・マクナマラの早すぎる離脱

ダイナースの創始者の3人で1番知名度が高い人物は、F・マクナマラでしょう。もともと、誕生秘話の主人公でもありますし、事実、彼の経営するハミルトン社の経営不振が原因で、ダイナースが誕生したと言っても過言ではありませんから。

しかし、現実は発足からわづか1年経たない内に、ダイナースから離脱してしまうのです。

原因は、発足した1950年に30万ドルにも及ぶ損失を出した事でした。1年前に悩んでいた損失額が、35,000ドルですから、これの約10倍弱の損失にF・マクナマラは、早々に見切りをつけたのです。

F・マクナマラの70%の投資額は、残ったA・ブルーミングデールとR・スナイダーの2人が買い取り、2人の投資比率は50%ずつとなり共同経営者になったのです。

ダイナースを去ったF・マクナマラがその後、どのような人生を歩んだのかは判りません。ただ言える事は、60年以上経った現代で、F・マクナマラのアイデアは、確実なビジネスモデルとして運用されているという事です。

R・スナイダーの早すぎる他界

F・マクナマラが去っていった数年後、1950年代後半(1957年とも1958年とも言われていて、死亡した定かな年は不明)に他界します。創始者は、残されたA・ブルーミングデール1人となってしまいました。

R・スナイダーの持分50%を、当時のA・ブルーミングデールには買い戻す資金がなかったのです。従って、R・スナイダーの持分50%は遺産として遺族に譲渡されてしまいます。

A・ブルーミングデールはまだ、50%の株式を保有してはいましたが、半数以上では無い為に、ダイナースの正式な代表権を持つ事が出来なかったのです。

ある時、A・ブルーミングデールは勝負に出ました。友人のつてを使ってコンチネンタル保険にダイナースの買収を試みたのです。

しかし、A・ブルーミングデールの思う結果にはならず、事態は最悪のシナリオに向かっていくのです。

19年続いたダイナースの内部紛争

A・ブルーミングデールが買収に失敗した結果、ダイナースにはコンチネンタル保険の経営陣が入る事となります。そして19年間にも及ぶ内部紛争を繰返す事態に陥るのでした。

その結果、本業であるクレジットカード事業に、本腰を入れる事が出来なくなっていて、その隙にバンカメリカードやマスターチャージのような、銀行系カード会社の新規参入を許し、既にライバル社であったアメリカン・エキスプレス社の追従も許す結果となって行ったのです。

ついに1969年、ダイナースクラブの利益は前年比の1/3強に落ち込み、A・ブルーミングデールは経営トップの座を降りる事となってしまうのです。ここで、創始者の3人全てが、自ら作ったダイナースクラブの経営から退く事となり、この年が創始者達の終焉の年となってしまいました。

A・ブルーミングデールのその後

経営から退いたA・ブルーミングデールのその後が気になりますね。少しお話しておきましょう。

経営から退いたとは言え、まだ持ち株は譲渡していませんでした。退いた後もコンチネンタル保険の経営陣とは紛争状態にあった為です。しかし、コンチネンタル保険経営陣は、A・ブルーミングデールがライバル社に行く事を恐怖と感じていたようです。

終焉したとは言っても、ダイナースクラブの創始者で尚且つ、ブルーミングデールズ百貨店の家系です。恐れを頂く人物としては十分な経歴の持ち主ですからね。

結局、コンチネンタル保険経営陣とA・ブルーミングデールは和解し、A・ブルーミングデールの所持していた株を殆んど買い取る事となったのです。

しかし、A・ブルーミングデールの執念は、死亡するまで続く事となります。

全ての株を売却せず、多少の株を保有する事で1981年に他界するまで、名義上ダイナースに残っていたのです。

創始者の意地なのか、自ら生み出したダイナースを愛していたからなのか、今になっては真意は誰も判らないでしょう。

何れにしても、なんの問題も無くきっと、栄華を極めたのだと想像してしまう創始者達ですが、現実はこのような波乱万丈な人生を送っていたのです。

現代のクレジットカード社会は間違いなく3人の創始者に作られた

如何でしたか?1949年にニューヨークのレストランで考え出したアイデアを元に、創始者としてダイナースクラブを発足させた3人のヒストリー。

まさか、こんな凄まじい現実であったとは、想像もつかなかったのでは無いでしょうか・・

創始者達の努力や苦労は、美談に隠れて表舞台には出て来ませんでした。しかし、彼ら3人が作り出したダイナースクラブと、クレジットカードシステムは、現在の巨大市場を生み出す原動力となった事実は、誰もが知っている事実なのです。

この3人がいなければ、今のクレジットカード業界はどうのようになっていたのでしょう・・私たちは、3人の業績に敬意を払わないといけないですね。

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