30秒4億円!ディスカバーカードは創設者のCM戦略で始まった

30秒4億円!ディスカバーカードは創設者のCM戦略で始まった

アメリカ国内のスポーツで、一番盛り上がるスポーツは何かご存知ですか?

そうです!アメリカンフットボールです。その中でも、「スーパーボウル」は全米の視聴率40%以上、世界中で1億人以上の人がテレビ中継を見ている祭典です。

そのビッグな祭典である「1986年 第20回スーパーボウル」のCMで、ディスカバーカードは華々しいデビューを飾りました。

CM料は30秒で4億円!ケタ外れなCM料もさることながら、スーパーボウルのCM枠を確保することはとても難しいことなのです。

ディスカバーカードの創設者は、ディスカバーカード初代社長「Raymond Kennedy, Sr.」(レイモンド・ケネディ・シニア)です。

彼の驚くべきCM戦略によって、クレジットカード業界の新参者であるディスカバーカードが一夜にして多くの人々に知られることになりました。

レイモンド・ケネディとはどんな人物だったのか?彼の数々の戦略を通してレイモンド・ケネディの足跡を追ってみました。

ディスカバーカードの前身は百貨店運営企業だった

ディスカバーカードの創設者レイモンド・ケネディの足跡を辿ると、最初に「シアーズ」と言う企業に辿り着きます。

では、その「シアーズ」とはどんな企業だったのか?

先ずは、「シアーズ」の歴史を覗いて見ましょう。

アメリカの大手スーパーマーケット的な百貨店

シアーズの創業は1886年に遡ります。ミネソタ州で駅員をしていたリチャード・ウォーレン・シアーズが、腕時計の通信販売を始めたことが起こりとされています。

1893年に時計商アルヴァ・C・ローバックが加わって、イリノイ州に「シアーズ・ローバック」を設立するのです。

この時点でシアーズと言う企業は、既に通信販売のノウハウを持っていたと言うことになります。

そして、1925年以降に広い駐車場を確保出来る、郊外にデパートを開業します。

シアーズのアメリカ国内での業種カテゴリは、「department store」で、日本語訳にすると「百貨店」です。

しかし、ブルーミングデールズ(有名チェーンデパート)のような高級店とは違って、日本で言えばイオンやイトーヨーカドーなどの、庶民的な大手スーパーのポジションだったのです。

因みに、ブルーミングデールズの創設者は、あのダイナースカードを創設した1人、「アルフレッド・ブルーミングデール」の祖父なのです。

アメリカの国際ブランドの創設者には、なぜか百貨店が関係してくるのですね・・

1880年から1900年初期までの時代は、アメリカが工業国として先進的な国に成長した時期ですから、その時代背景が関係しているのかも知れません。

シアーズはダイレクト・マーケティングの第一人者


「ダイレクト・マーケティング」(カタログ販売)の第一人者はシアーズです。

1890年代から1900年代初期までの、交通手段は鉄道や馬車でした。アメリカでのモータリゼーション(自動車化)が始まったのは、早くても1920年代です。

ですから、この当時の一般国民は、アメリカの広大な土地を、自由に移動する手段が限られていたのです。

その弊害を見てみると次のようなものでした。

  • 時間と労力をかけて、都市部まで買い物に行かなければならない
  • 商品を選ぶ事が出来ず、そこにある商品を購入するしかない
  • 値段交渉など、もってのほかであり言い値で購入するしかない

ここに目をつけたのが、シアーズです。カタログを郵送し、一括仕入れすることで、商品を安価に提供する。「ダイレクト・マーケティング」を開始したのです。

現在の日本では、カタログ販売は当たり前の営業手法として採用され、多くの企業が「ダイレクト・マーケティング」を行なっています。

この手法の中には、ラジオショッピングやテレビショッピングも含まれるのです。

日本国内において、このカテゴリの中で一番成功している企業は「ジャパネットたかた」でしょう。

しかし、そのアイデアは1890年代にシアーズによって、実行されていたアイデアだったのですね。

シアーズのカタログは「消費者の聖書」と呼ばれていた

シアーズの「ダイレクト・マーケティング」は、とにかく大量のカタログを配布することにありました。

ターゲットは、もちろん都心から離れた農村部です。この時代の農村部の子供達は、満足な教育を受けることが出来ない状態にありました。

ですので、無料で配布されるシアーズのカタログが、教育を受ける事の出来ない子供達の、教科書代わりになっていたのです。

カタログに書いてある文字で「単語」を覚え、カタログに載っているイラストが「絵本」となり、カタログに記載してある値段で「数字」と「計算」を勉強することが出来たのです。


「消費者の聖書」と呼ばれて親しまれ、大切に利用されていたようです!

それは、何度も読み返しぼろぼろになったカタログを、最終的にはトイレットペーパーとして利用し、「捨てる」行為は行なわず、最後まで無駄なく利用していた事実から伺うことが出来ます。

「返金保障」もシアーズが既に行なっていた!

ここ数年、「ダイレクト・マーケティング」の中で、ある手法が主流になっていることをお気づきでしょうか?

「気に入らなければ、商品代金、全額返金いたします!」

このフレーズ、良く聞くと思いませんか?

この「返金保障」も1890年代に、シアーズが既に行なっていたサービスなのです。

「返金保障」は販売戦略としては、消費者が飛びつく確立が高くなる効果的な手法ですが、同時にリスクを背負うことにもなります。

現在の、薄利多売方式で行なえば、リスクは少ないかも知れませんが、当時の生産単価から考えて、「返金保障」を行なうアイデアは、驚くばかりです!

また、初期のシアーズのカタログには、「誇大なコマーシャル」が消費者の目を引きました。

現代では、誇大広告は禁止されていて、一部では罰則の対象になってしまうものもあります。

当時にはそんな禁止事項や罰則はなかったので、問題にはならなかったのでしょうが、「誇大広告」と言うアイデアを、カタログに採用したシアーズは、凄いと思ってしまいます。

先見の明によって小売業「全米第1位」に登りつめる

シアーズは先見の明によって、時代の流れを確実に掴んで行きます。

先にもご説明したとおり、1925年以降になって、広い駐車場を有した郊外型のデパートを開店させます。

  • 都市部への人口の集中を予測
  • モータリゼーションの到来を予測

このような時代の流れを予測し、モータリゼーションのピーク前に準備をしていたのです。

そして、第二次大戦後にはショッピングセンターも計画し、その中心店舗として、アメリカ全土の都市に進出を果します。

こうして、シアーズの業務展開は全米に広がり、多くの顧客を有する結果となっていくのです。

顧客が増えたことにより、シアーズは新たな事業にも着手します。

それは、百貨店では通常考えもつかないもので、保険業・金融業・不動産業などの分野にも進出を果たしているのです。

つまりシアーズは、単なる百貨店を運営する企業から、日本で言うところの「総合企業」になったと言っても良いでしょう。

そして、1980年代初頭まで、シアーズは「アメリカ国内でNo1」の小売業者になっているのです。

自動車保険業から、なんと自社ブランドカーまで販売

1931年に自動車保険業の「オールステート」を開始し、1952年には「カイザー・モーターズ・コーポレーション」が製造した「ヘンリーJ」をベースにした、「オールステートブランド」で自動車の販売も行なっているのです。

オールステート1952年式

保険業、自動車販売と、どれをとっても「巨額な資金」が無ければ出来ない業種です。

シアーズの本社ビルは、世界一の超高層ビルだった!

1973年には、シアーズの本社ビルとして、シカゴに「シアーズ・タワー」と呼ばれる110階建て、高さ527mの「世界一の超高層ビル」を建築してしまうのです。

2009年7月に「ウィリス・タワー」に名称が変わりますが、2013年に「1ワールドトレードセンター」が出現するまで、40年間に渡ってアメリカNo1のビルだったのです。

因みに世界一の座は、2010年に建てられた、ドバイにある「ブルジュ・ハリファ」(162階、828m)に明け渡しています。

このような、世界一の超高層ビルを、本社ビルとして建てることが出来る企業は、世界に数社しかないでしょう。

それだけ、シアーズの業績は凄いものだと言うことを、証明しています。

ウィリス・タワー(シアーズ・タワー)

満を持してクレジットカード業界へ進出

総合企業として様々な業種で、営業展開を行なっているシアーズの売上高を見てみましょう。

なんと、216億ドルもあり、日本円換算すると約2兆6千億円(Wikipedia 2012年調査)のビッグ企業であることが判りました。

世界一の、超高層ビルを建てることが出来たのも、納得できますね。

この売上高を、日本国内で比較してみると、「トヨタ自動車」とほぼ同じ金額なのです。なので、トヨタの規模をイメージして頂くと、判りやすいかと思います。

そして、潤沢な資金を持って、ついに1985年クレジットカード業界に進出し、「ディスカバーカード」の発行に至ります。

ディスカバーカードを創設したのは、当時シアーズのクレジット担当マネージャーのポジションにあった、「Raymond Kennedy, Sr.」(レイモンド・ケネディ・シニア)です。

ディスカバーカード創設の目的は、シアーズの顧客に対してのファイナンシャルサービスでした。

このサービスを思いつき提案したのが、レイモンド・ケネディなのです。

さらにディスカバーカードの初代社長に就任したレイモンド・ケネディは、クレジットカード業界で、次々に驚く戦略を放つのです。

レイモンド・ケネディのCM戦略は一夜で無名企業を有名にした

ディスカバーカードのクレジットカード業界デビューは、鮮烈なものになりました。

ビッグ企業のシアーズが、ディスカバーカードを立ち上げたことは、業界では周知のことでしたが、アメリカ国民にはまだ浸透しているはずもなかったのです。

そのアメリカ国民が、一夜にしてディスカバーカードの存在を、知ることとなったのです!

全米視聴率40%超のスーパーボウルでデビュー!

ディスカバーカードのデビューは「1986年 第20回スーパーボウル」のCMでした。

創設して間もなく開催された、スーパーボウルのCMで、華々しいデビューを飾ったのです。

「スーパーボウル」は、全米で最も人気の高いイベントであることは、ご存知だと思います。

現在、スーパーボウルでのCM料は、「30秒で4億円!」なのです。

当時の金額を見てみると、55万ドル(約1億1千万円)でした。ほぼ30年前の1億円ですから、どれほどの高額かは想像出来るでしょう。

このCM戦略は見事に成功し、全米に留まらず全世界に、ディスカバーカードの存在を認識させる結果となったのです。

ところで、全米視聴率が40%を超えると言うことは、一体視聴者数は何人になるのか?
気になるところですよね。

視聴率の計算は複雑なので、確実な視聴者数をカウントするのは難しいのですが、番組開始から終了までの視聴率を平均すると、40%を超えれば、1億人以上が見ている結果になるようです。

日本の国民全員が、「同じ番組を見ている」と言うことになりますので、凄まじい視聴率だと言うことが、イメージ出来ますね。

スーパーボウルでのCM戦略の裏側は・・

一夜にして有名になったディスカバーカードですが、そのCM戦略の裏側を探って見ると、隠れた部分が見えて来ます。

ディスカバーカードが創設された理由は、重ね重ねになりますが、「シアーズの顧客に対するファイナンシャルサービス」の提供にありました。

スーパーボウルのCM枠は、高額なCM料も必要ですが、販売枠の争奪戦も起こります。

表面には出てきませんが、水面下では各業界内での根回しなど、見えない部分でのセールスも必要なので、新参者がCM枠を獲得するには大変なはずなのです。

なのに、クレジットカード業界では新参者である、ディスカバーカードがCM枠を獲得出来た事実は、シアーズのバックアップがあってこそ実現したことは、言うまでもありません。

実は、スーパーボウルでCMが流れることによって、多くの人にアピール出来ることに加えて、もう1つの効果が期待されていたのです。

それは、既にディスカバーカードの会員である、シアーズの顧客が感じる「ステイタス性」を狙ったものでした。

超有名な番組で、ディスカバーカードのCMが流れれば・・
「あっ!ほらこのカード、私持ってるのよ!」
と、人に自慢が出来るではないですか。

その優越感、ステイタス性によって顧客離れを防止し、口コミで新規顧客を獲得出来る!と言った役割も果たしていたのです。

レイモンド・ケネディの営業戦略はとても斬新なアイデアだった

CM戦略以降のレイモンド・ケネディによる営業戦略は、他に類を見ない斬新なアイデアで、業界を驚かせることになります。

1985年に創設したディスカバーカードは、5大国際ブランドの中で一番遅い創設になります。

と、言うことはクレジットカードサービスは、他社にてほとんど作り上げられていて、何を行なっても他社の「真似」でしか無い、と言うことになります。

そんな状況の中で、レイモンド・ケネディのアイデアは斬新なものでした。

ディスカバーカードは年会費を無料で発行する!

クレジットカード業界では常識であった「会費」を無料にしたのです。

当時は、クレジットカードを作成するにはそれなりの材料費がかかっていました。

その材料費は「会費」と言う形で、ユーザーに負担してもらっていたのですが、これをレイモンド・ケネディは無料にしたのです。

ディスカバーカードを利用すれば、キャッシュバックがあります!

キャッシュバックのあるクレジットカードは、ディスカバーカードが初めてです。

そのようなサービスは、クレジットカード業界では誰も思いつかなかったのでしょう。
いえ・・例え思いついていたとしても実行することは不可能だったと思うのです。

一旦、決済を完了させた金額から、キャッシュバック率に応じた金額を、利用者に返金する訳ですから、システムも複雑になり、当然コストがかかってしまいます。

それでも、実行出来たのはシアーズが保険事業も手がけていたからでしょう。

保険は、掛け金に応じた保障内容で、契約者に保険金を払い込むシステムです。

恐らく、この保険事業で得たノウハウを、クレジットカード事業にも生かせたのだと思うのです。

つまり、シアーズ出身のレイモンド・ケネディだからこそ、思いつき、実行出来たサービスでしょう。

ディスカバーカードは、他社のクレジットカードよりも利用限度額が高額です!

他社がほぼ足並みを揃えていた、与信による利用限度額を、レイモンド・ケネディは高額な設定としたのでした。

ただし、この高額な利用限度額は、VISAカードとMasterCardに対してのものだったと言えます。

ダイナースとアメックスの与信枠は、公開されていないので不明ですし、この2社の限度額は顧客ごとに異なる為に、ディスカバーカードの相手は、VISAとMasterCardだったと言えるでしょう。

いづれにしても、この3つの営業戦略は業界を驚かせます。そして、瞬く間に顧客を拡大する成果を上げたのです。

奇抜な戦略もシアーズの歴史に起源があった

クレジットカード業界を驚かせた、レイモンド・ケネディの奇抜とも言えるアイデアも、シアーズの歴史を辿ればその起源が見えて来ます。

1890年代にシアーズが行なっていた「ダイレクト・マーケティング」や「返金保障」がアイデアの起源となっているのです。

1890年代当時には、このようなサービスやアイデアは存在していません。全てシアーズが開拓したものでした。

つまり、シアーズの営業コンセプトは、「誰も行なっていない、不可能と思われるサービスを実行すること!」なのです。

このコンセプトが起源だとすれば、クレジットカード業界で、どの企業も行なっていないサービスを打ち出した、レイモンド・ケネディのアイデアも、シアーズ出身の彼であればこそだと思われます。

やはりレイモンド・ケネディの家庭は普通ではなかった

レイモンド・ケネディのアイデアが、シアーズに起源していたとしても、それを実行出来る資質が無ければ何も起こりません。

それを実行して来たレイモンド・ケネディの家庭は、やはり普通ではありませんでした。

息子のレイ・ケネディは、カントリーミュージックのアーティストであり、なんとあのグラミー賞の受賞者だったのです。

2005年の第47回グラミー賞で、年間最優秀アルバム賞を受賞しているのです。

星の数ほどのアーティストの中で、グラミーを受賞出来るのは、限られた一握りの人ですから・・

レイモンド・ケネディの行動力とアイデア思考の遺伝子は、息子にも受け継がれていたようで、やはり普通の家庭ではなかったようですね。

奇抜な戦略は思ったほどの成果を上げることが出来なかった

他に類を見ないアイデアで、ディスカバーカードの顧客は拡大していきます。

しかし、あるところで頭打ちとなってしまったのです・・その原因はなんと、シアーズそのものにあったのでした。

シアーズの顧客重視のサービスが足かせになってしまった

順調に見えたディスカバーカードの普及も、フタを開けてみるとほとんどがシアーズの顧客で固められていたのでした。

もともと、シアーズの顧客のためのディスカバーカード創設だったので、当たり前と言えばそれまでなのですが・・

ですので、それが大きな原因となって、クレジットカード事業の基本である「加盟店」の拡大が出来なかったのです。

理由は、シアーズが小売業者のトップ企業であったために、ほかの小売業者が加盟店になることを嫌がったからです。

「どうせ、加盟店になっても儲かるのはシアーズだけだ」

加盟店の対象である小売業者のライバルはシアーズです。そのライバルが行なう事業に参加しても、自分達は決して儲けることは出来ないと考えていたからなのです。

その結果、シアーズの顧客にはディスカバーカードが浸透していくのですが、シアーズと言う枠より外に広げることが大変難しい状況にありました。

シアーズから離れた後に業績が急上昇する

1993年にシアーズは、これまでディスカバーカードの親会社であったDean Witter Reynolds社(ディーン・ウィッター・レイノルズ社)を分離して、ディスカバーカードから手を引くことになります。

なぜ、ディスカバーカードを手放したのか?理由は、自社の顧客以上の展開が望めず、赤字部門となっていたことと、本業である百貨店事業に危機が訪れたからです。

当時、手広く事業展開を行なっていたシアーズに、強敵が次々と現れて来たのです。

大手スーパーマーケットで知られる「Walmart」(ウォルマート)や、日本でも有名な玩具の大型量販店である「Toys“R”Us」(トイザらス)との競争に、勢力を注がなければならない状況にあったのでした。

シアーズから独立したディスカバーカードは、シアーズと言う足かせが外されたことによって、業績が急上昇して来ます。

1995年には、Dean Witter Reynolds社の売上の52%をディスカバーカードがフォローしているのです。

1997年には、世界的にメジャーな金融機関グループである「Morgan Stanley」(モルガン・スタンレー)と合併し、その認知度を世界に広めます。

そして、2007年に「Discover Financial Services」(ディスカバー・ファイナンシャル・サービス)としてニューヨーク証券取引所で上場を果し、独立したクレジットカード会社となるのです。

華々しいデビューが、会員数5千万人の国際ブランドに!?

歴史を辿って行くと、シアーズの戦略をレイモンド・ケネディが継承し、華々しいデビューを飾るのですが、シアーズから独立した原因も、シアーズの戦略に原因があったことが判ります。

シアーズの傘下から離れた途端に、業績が急上昇してしまう事実をみると、シアーズにとっては、皮肉な事実に思えて仕方ありません。

シアーズとレイモンド・ケネディは無くてはならない存在

紆余曲折があったとしても、レイモンド・ケネディが仕掛けたCM戦略があったからこそ、国際ブランドの仲間入りをするまでに成長したことは、確かなところです。

そして、レイモンド・ケネディが育った企業、シアーズそのものが無ければ、ディスカバーカードが生まれることも無かったのです。

もしかすると、レイモンド・ケネディが出した「年会費無料」のアイデアが誕生していなければ、現在の「年会費無料」サービスは生まれてなかったかも知れません。

やはりレイモンド・ケネディのCM戦略は凄かった

1986年にスーパーボウルのCMにて、華々しくデビューしたディスカバーカードです。どの企業も知名度をあげる為に、このCM枠の獲得に躍起になっています。

宣伝効果を思いつくのは誰でも出来るかも知れませんが、それを実現させたレイモンド・ケネディは、かなりの切れ者だったということですね。

あれから30年経った2015年に、ディスカバーカードは再びスーパーボウルでCMを流します。

CM合戦と言われ、CMランキングまで行なわれるようになった現在、ディスカバーカードのCMは何位にランキングされるのでしょう!?

そのランキング結果で、これからの戦略も大きく変わってくることでしょうね。

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