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国際ブランドで唯一!?銀聯カードは国家が創設者だった!

国際ブランドで唯一!?銀聯カードは国家が創設者だった!

クレジットカードの国際ブランドと言えば、VISA・MasterCard・アメリカンエキスプレス・ダイナース・JCBの5大ブランドであることは、良く知られていると思います。

近年では、中国発の「銀聯カード」が、この5大ブランドに加わり6大ブランドと呼ばれるほどに成長してきているのです。

また、アメリカ発の「ディスカバーカード」も国際ブランドとして、認められつつある状況です。

ディスカバーも加えると、国際ブランドは7大ブランドとなるわけですが、銀聯を除く6ブランドは全て、民間企業で働く人物が創設者として名を連ねています。

しかし、「銀聯カード」だけは創設者は人物でなく「国家」であることを、ご存知でしょうか?

なぜ、国家がクレジットカードを創り上げたのか?そして、どのような状況を経て国際ブランドと呼ばれるようになったのか?

創業者・・いえ、創業国家である中国の銀聯創設に至るまでの、歴史を探ってみたいと思います。

銀聯は、中国人民銀行の後ろ盾により設立された連合組織だった

銀聯は中国と言う国家が創設をしていますが、もちろん、いきなり突然に創設された訳ではありません。どういうことなのか、詳細は後ほどご説明して行きますね。

国として、銀聯と言う組織が必要であったからこそ、設立されたのです。先ずは、中国の銀行事情について簡単に触れておきましょう。

銀聯と言う名前の由来は、銀行の連合体からつけられた

先ず、銀聯(ぎんれん)と呼ばれる、名前の由来についてご説明します。

2002年3月に、中国国務院(日本の内閣と同じ、国の最高行政機関です)の同意を得て、中国人民銀行をバックに創設されたのが、「銀聯」です。

目的は、当時の中国の悩みのタネであった、銀行カード産業を発展させる事を目的として、国内の幾つもの銀行を主とする、金融機関を集めて創設されています。

つまり、簡単に言うと次のようになります。

  • 国内の銀行カード産業がなかなか普及しない。
  • 日本で言う国会で「政策」として組織を作って対応することを議決した。
  • 資金援助や助言は、中国人民銀行が全面バックアップする。
  • もともと銀行は、ほとんど国営銀行なので、国が決めれば誰も文句は言わない。
  • 国内にある銀行、金融機関を集めて組織を創立した。

そして、設立された組織の名前は、銀=銀行、聯=連合の連(聯)の組合せで「銀聯」と命名されたのです。

創設された経緯を知って、名前を読むと「なるほど、そのまんまですね」となる訳です。

もともと中国には、銀行は1つしか存在していなかった

次に、全面バックアップすることになった「中国人民銀行」ですが、この銀行は日本で言えば「日本銀行」にあたります。

つまり政府の銀行ですね。そして、もともと中国にはこの「中国人民銀行」しか銀行はなかったのです。

それについては、1948年まで時を遡ってご説明しましょう。

中国がまだ「中華人民共和国」と呼ばれる国ではなく、「華北人民政府」と呼ばれていた頃になります。

1948年と言えば、終戦を迎えた3年後の昭和23年です。世界中が戦争の爪あとから復興に挑んでいた時代です。

1948年12月1日に、華北人民政府によって「中国人民銀行」は設立されました。この時点で、中国全土には複数の銀行が存在していたのですが、その実態は、銀行と呼べるほどの機能は有していなかったのが現状です。

この1年後の1949年に、現在の「中華人民共和国」が樹立します。そして、首都は北京とされました。これに伴い、河北省石家荘にあった「中国人民銀行」は、北京に移されることになります。

河北省石家荘は、北京を囲むように隣接している位置にあるので、遠くから移動したのではなく、直ぐ近くに移動したイメージですね。

その後、1949年から始まる「社会主義計画経済」の下で、中国国内全ての銀行は国有化され、「中国人民銀行」に統合されてしまいます。

この時点で、中国国内の銀行は「中国人民銀行」ただ1つとなってしまったのでした。

鄧小平時代の近代化政策によって分離された市中銀行が弊害に

日本人の感覚で中国を見ると、とても特殊な国に見えませんか?でも、その感覚が正解だと思うのです。

ですので、銀聯の歴史を知る為には、中国と言う国の特殊性を知っておいた方が良いと思いますので、少し中国の歴史を振り返ってみましょう。

中国は共産党による一党独裁政治を行う国です

ご存知の方は多いと思いますが、中国は中国共産党による「一党独裁政治」を行う国です。

「独裁」との単語を見ると、なんだか悪いイメージに見えてしまいますが、そう言うことではありません。政治の世界のお話になってしまいますが、少しお付き合いくださいね。

日本では、「政党」がたくさんあって、それぞれの政党から代表(国会議員)が選出されて、国会に参加し日本と言う国を運営しています。

しかし、第一政党と言って多くの政党の中で、一番国会議員の人数が多い政党が主導権を持ってますよね。

中国の場合は、政党がたくさん無く「共産党」一党だけと言うことです。今の日本では「自民党」の政策でほぼ日本が運営されていますから、その点だけでいえば、日本も中国もあまり変わりはないのです。

唯一の違いは、日本は「資本主義社会」で中国は「共産主義社会」と言うことです。

毛沢東が中国国内を混乱に陥れた初代主席だった

中国では国家の代表者を「主席」と呼んでいます。日本の首相ですね。中国の歴史の中では、二人の主席の名前がよく知られています。

一人は「毛沢東主席」で、あと一人は「鄧小平主席」の二人です。

毛沢東が「中華人民共和国」を建国し、「中国共産党」設立にも関与した人物です。1976年9月に満82歳で死去するまで、中国の最高指導者だったのです。

毛沢東の行った政策の中で一番の失敗は、「文化大革命」でした。この政策は「資本主義文化」を批判し、新しい「社会主義文化」を創生しようと言うものでした。

単純な話にしてしまうと、中国共産党内の権力争いに「文化革命」との大義を持ちだして、国民を巻き込んだ闘争だったのです。

この結果、国内での紛争が絶えることなく、農村部では飢餓で死んでしまう国民が出てしまうほど、国内は最悪な状況に陥ってしまったのです。

1976年に死去するまで、文化大革命は終わることはありませんでした。この2年後に主席になった鄧小平が、最悪の事態を改善して行くのです。

凶暴であった毛沢東の思想を、彼の死後でも崇拝する国民は多くいます。

混乱に陥れた人物であることを認識しても尚、崇拝する国民がいるのは、13億もの人口の多さと、「中華人民共和国」を建国した人物であるからなのかも知れません。

鄧小平の登場で中国経済は復活して行く

毛沢東の死後2年経って、1978年に鄧小平主席が誕生します。文化大革命で疲弊しきった国内を、「改革開放政策」にて見事に復活させた人物なのです。

これまでの閉鎖的な経済政策を、市場開放し「経済特区」を設置して、地域限定で外貨を導入する政策を打ち出しました。

この政策は見事に成功し、大きな成果を中国にもたらすのです。鄧小平が成功させたこの政策には、実は日本の存在が大きく関わっていたのです。

主席になった1978年に、「日中平和友好条約」を日本と結びます。その年の10月に日本を訪れ、新幹線に乗車したのですが・・

経済発展を遂げた日本の現状と、新幹線と言う日本の素晴らしい技術を目にした鄧小平は、毛沢東時代から続く階級闘争を放棄し、「経済が他の一切を凌駕する」と経済発展を主点に政策を考えることになるのです。

国内の生産力を増すことを第一の目標に掲げて、様々な政策を打ち出していったのです。

中国人民銀行の改革が唯一の失敗だったのかも知れない・・

鄧小平は「中国人民銀行」の改革にも着手します。これは、単に銀行改革に収まる政策では無く、経済政策の一環でもあったのです。

それまで、中国国内の銀行は、「中国人民銀行」のみであったことは、先にご説明したとおりです。

この中国1行体制を変えたのが鄧小平です。

  • 政府銀行の役割(日本の日本銀行と同じ役割)
  • 市中銀行の役割(日本の三井住友銀行のような役割)

この2つの役割を「中国人民銀行」が行っていたのですが、それを分割し、政府銀行の役割を主に担う銀行と位置づけたのです。

そして、市中銀行の役割を各地区に銀行を設立して、分離させてたのですが、その成果はとても大きなものになりました。

なにせ、広大な中国大陸で銀行業務を行うには、それなりの機能を持った銀行が多く必要であったからです。

経済改革の一つに、これまで銀行は国有銀行のみだったシステムを、株式の銀行も設立し外国の資本の導入も行っているのです。

しかし、この銀行改革が後に大きな問題となってしまったのです。

ひと先ずは大成功!しかし、その後大病が発見される

銀行改革は、市中銀行が多くなったことによって、外貨の獲得や国民の生活向上に大きな役割を果たす結果となり、経済面ではひと先ずは、大成功でした。

しかし、そこには大きな落とし穴が存在していたのです。それは、広大な中国ならではの落とし穴だったのかも知れません・・

増えて行く銀行が、全て異なるシステムを採用してしまっていたのです。

つまり、統一されたルールでは無く、各地方が独自のローカルルールにてシステムを採用した為に、国内で共有することが出来なくなっていたのです。

その状況は、広大な国内全ての金融機関を、集中して管理することが出来ない状況にありました。

同じ中国国内で、四川省で作った口座のお金を、雲南省ではおろせないと言った不都合が生じてしまったのです。

これだと、経済の動脈であるお金を、国内全体に流通させることが出来ません。中国を人体に例えるなら、血行不良で不健康な体になり、最悪の場合には、死亡してしまうかも知れない大病にかかってしまったのです。

この大きな病気を治すには、全土のインフラを整備する必要がありました。

一党独裁政治である中国では、出来ないこともありません。しかし、それには外国資本の銀行はもとより、国営銀行からも非難を受ける大きなリスクがあったのです。

なによりも、各銀行がインフラに投資するだけの体力が無くなっていたのが、整備に踏み切れない大きな要因でした。

1997年に起きたアジア金融危機がきっかけに・・

1997年に起きた「アジア金融危機(通貨危機)」によって、日本を含むアジア諸国が大きな経済的打撃を受けます。

アジア金融危機とは、ヘッジファンドが仕掛けたマネーゲームで、アジア諸国の通貨に空売りを仕掛けて、下がったところで一気に買戻し利益を得る内容でした。

この時に隣国の韓国では、国が経済破綻を起こし、企業で言うところの「倒産」に追い込まれているのです。

このように、多くのアジア諸国が被害を受ける中、中国はほとんど影響を受けていなかったのです。

理由は為替取引に関する規制があり、自由な取引が出来なかったこと。そして、病気の原因であったシステムの弊害が、お金の流出を防いだとも言われています。

しかし、影響がほとんど無かったと言っても、国内では不良債権が深刻化していました。その打開策に、国費を投入し不良債権の回収を開始したのです。

この政策の結果、銀行自体の体力が回復して来ます。

2001年12月の世界貿易機関(WTO)加盟時の約束

2001年12月に世界貿易機関(WTO)に加盟するのですが、その時に次の約束を取り交わします。

5年以内に外資系銀行の完全な市場参入を認める!

この約束は、経済発展を目指す反面で、中国国内で銀行の自由競争を開始する約束でもあったのです。

これまで国営一本で行なってきた銀行が、資本主義の中で鍛えられた外資系の銀行と、まともに戦うことは出来ません。

今のままでは、劣勢に立たされ国内のお金が他国に流出する状況になりかねません。

懸念した中国政府は、内閣の承認を得て、正式に銀行の連合組織を設立することになります。

これが、銀聯設立の本当の理由であり、創設者が国家である理由なのです!

法律改正によって、国営銀行から株式上場銀行へ移行させた

2003年12月27日に「第10期全人代常務委第6回会議」と言う、中国の最高国家権力機関によって、「中華人民共和国商業銀行法」なる法律が改正されたのです。

改正の背景には、世界貿易機関(WTO)との約束である、「5年以内の外資系銀行の参入」対策がありました。

銀聯はあくまで連合組織であり、中国全土の金融ネットワークの構築、管理、監視、戦略立案にあります。

銀行業務自体を行なう組織ではありません。なので、国営銀行を株式銀行へ移行し、さらには上場銀行として世の中にアピールする必要があったのです。

それを行なう為に、最高国家権力機関が動き、法律の改正を行なったのです。

この戦略も見事に成功を収めます。株式企業となった銀行には、「バンク・オブ・アメリカ、ゴールドマンサックス、アメリカン・エキスプレス」などのアメリカの有名企業が株主として資本提供を行なっています。

株主がアメリカ企業であると言うことは、各企業と短時間で業務提携を行なうことが出来る、営業戦略としてとても有効な結果を生み出したのです。

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銀聯設立後、凄まじいスピードでインフラが整備された

13億人を超える中国の本気は、凄い勢いでインフラ整備を行なってしまいます。

先にご説明したとおり、銀聯設立の目的は「銀行間の決済を統一したシステムにする」ことです。

そうやって、国内の全銀行で外資系銀行と戦う準備を進めて行く中で、凄まじいスピードでインフラの整備を進めて行くのです。

起死回生の秘策は、とてつもない成果を生み出した

銀聯設立は、中国にとって生き残りをかけた、「起死回生の秘策」と言っていいのではないでしょうか・・

その秘策の結果、銀聯が発行する銀聯カードは、中国の国民にとって無くてはならない財布となり、現在では45億枚を発行する、世界1位の発行枚数を誇るほどになっているのです。

ここまでのことを計画して、実現させたのでは無いと思いますが、銀聯設立の秘策は、とんでもない成果を生み出したことになるのです。

銀聯の発行するクレジットカードが中国経済を支える結果となる

2002年に設立された銀聯は、ほんの十数年で発行枚数世界一のクレジットカード会社となります。

銀行の決済システムを統一したからと言って、ここまで利用者が伸びるには何かほかの理由があるはずです・・

銀聯カードはデビットカードが基本

繰り返しになりますが、銀聯は銀行の連合組織です。中国全土の銀行が銀聯システムを利用して、預金管理から決済までを行なっているのです。

バラバラだった銀行システムを統一したことで、次のメリットが生まれました。

  • 中国全土どこの銀行でも預金の引き出しが出来るようになった
  • デビット機能で、現金を持ち歩かなくても買い物が出来るようになった

この2つのメリットは、中国国民にとってありがたい恩恵をもたらせたのです。

銀聯カード以前は、地方が異なれば銀行で預金を下ろすことが出来ませんでした。なので、大量の人民元(現金)を持ち歩く必要があったのです。

中国では、100元札(日本円で約1,500円)が最高額の紙幣です。例えば、雲南省から四川省に150万円の買い付けを行なう為には、1,000枚の100元札を持って行かなくてはなりません。

労力はもちろん、強盗に会うリスクと心労が、常につきまとっていたのです。

そのリスクも、心労も銀聯カードの誕生によって、解消されることになります。

一般市民の生活ではどうだったのでしょう。一般市民にも、日々の買い物に変化がおきました。現金で商品を購入することが、少なくなって来たのです。

小銭はかさばりますし、高額紙幣は一般の店舗では使う事が出来ません。お釣りが足らなくなるからです。

銀聯は基本デビットカード機能のついた「キャッシュカード」なのです。中国全土のどの銀行で口座を作っても、銀聯カードがキャッシュカードとして発行されます。

つまり、銀聯カードは通常のクレジットカードのように、利用者が申込みを行なって、審査を通過し発行されるものではなく、口座を作れば自動的に発行されるシステムになっていたのです。

中国の人口は約13億人。1人が2つの口座を持てば、26億枚の銀聯カードが発行される計算となります。このシステムが世界一の発行枚数の実態なのです。

世界第2位の経済大国なのに・・先進国でなく発展途上国!?

中国は、2010年のGDP(国内総生産)から日本を抜いて、アメリカに次ぐ「世界第2位の経済大国」に成長しているのです。

1978年の鄧小平主席の誕生から、30年余りでの急成長には驚くものがあります。

その要因としては、「共産主義国家」でありながら経済手法には、「資本主義体制」を取り入れたことが挙げられます。

そして、その成果である「銀聯カード」は、中国を経済大国に押し上げた原動力と言っても過言ではないでしょう。

中国がもっとも必要としていた、ソフト、ハード両面のインフラ整備を見事に成し遂げたのです。

その結果、大病の原因であった血行不良が改善し、以前よりもっと素晴らしい健康体になれたのですから。

しかし、血液循環は良くなったものの、まだ内蔵機能に問題が残っています。

世界第2位の経済大国である事は、GDPの数字が証明しています。それでも、先進国とは認定されず、いまだ発展途上国としての位置づけにあるのです。

国家全体としては、問題ないのですが、国民一人当たりのGDPでは、182の国と地域のうち中国は82位とかなり低い順位で、世界平均よりも大幅に低い数値となっているのです。

つまり、「富裕層と貧困層の差がとても激しい国だ」と言うことになります。

中国国内では、いまだに1日2ドル未満で生活している貧困層が、約2億4千万人(推定値)も存在していると見られています。

日本にあてはめれば、全国民が貧困にあえいでいることになりますね・・

この数字からしても、日本とはスケールの違いが判って来ます。

今後の銀聯による経済戦略とは!?

今後、銀聯はどのような戦略を持っているのでしょう。「銀聯=中国」ですから、国家による経済戦略と思っても良いでしょう。

銀聯は海外では「Union Pay(ゆにおん ぺい)」と呼ばれています。銀聯は既に海外での銀聯カード加盟店が700万店を超えたと発表しています。

中国の銀行の株主企業のあるアメリカでは、銀聯カードが利用出来るATMは36万台以上であると言われています。

銀聯ネットワークは、135の国と地域に拡大されて来ていて、オーストラリアや南米のペルーにまでおよんでいます。

ここで、気になる日本と銀聯カードとの関係をご説明しておきましょう。

  • 銀聯カード取扱い加盟店は約30万店
  • 銀聯カードが利用出来るATMは7万台

有名百貨店はもちろん、ヨドバシカメラ、ドンキホーテ、でも既に銀聯カードは利用可能となっています。

楽天市場でのオンライン決済でも、銀聯カードが利用可能となりました。

拡大し続ける銀聯ネットワークが、銀聯の戦略が成功していることを証明しているでしょう。

政治的な局面もありますが、突き詰めれば戦略としてはとても単純なことなのです。

「国民が銀聯カードを利用して、買い物しやすい環境を創りだしていく!」

これが、銀聯の戦略の骨格なのです。

シンプルな戦略の成功を支えているのは、国民の「爆買い」

シンプルな戦略ですが、提携する側にもメリットがなければ成功させることは出来ません。

しかし、銀聯はことごとく成功させて来ているのです。戦略成功を支えているのは、中国国民の「爆買い」です。特に春節期間は、中国人は海外旅行に出かけて信じがたい消費をします。

2015年2月の春節では、延べ28億人が国内外を移動しています。日本には45万人の中国人が訪れ、約1,140億円と凄まじい消費をしてくれたのです。

日本だけでなく海外の様々な国へ出かけ、そこでとんでもない消費をするのが中国人なのです。

韓国においては、国内の消費は冷え込んでいて、韓国国民での需要は期待できない状況にあります。春節時期の中国人観光客による消費のみが、企業の支えとなっている状況なのです。

この「爆買い」を支えているのが、銀聯カードなのです!

ですから、どの国も中国人観光客が気持ちよく「爆買い」出来るよう、銀聯と提携していく訳なのです。

中国人観光客の「爆買い」が無ければ、ここまでの銀聯カードの普及拡大は無かったでしょう。

中国政府が銀聯カードの使用を推奨している

さらに、中国政府そのものが銀聯カードの使用を推奨しています。

先にご説明したとおり、中国は発展途上国の位置づけです。確かに、クレジットカードの与信機能は未発達で、中国国内で正常な与信を行なうことは難しいでしょう。

海外のクレジットカードに申込んでも、審査にとおる国民はほんの数パーセントです。つまり、ほとんどの中国人はクレジットカードを持つ事が出来ない状態にあります。

しかし、銀聯カードで決済を可能にすれば、国民はあえてクレジットカードを必要とはしません。銀聯はクレジットでなく、ほとんどがデビットなので、口座に預金が無ければ買い物すら出来ません。

逆に預金さえあれば、世界各国で利用することが可能なのです。

  • 海外での銀聯カード利用金額は、口座残高まで利用可能
  • 人民元の持ち出しには5,000ドルの規制

この2つの条件を見ても、中国政府が海外では銀聯カードを推奨していることが判ります。

現金を持ち歩かなくても、誰でも持っているキャッシュカードで、海外で買い物が出来ますし、必要であれば現地通貨をATMで下ろすことも可能なのです。

恐らく、世界中探してもこんなキャッシュカードは銀聯カード以外に存在しないでしょう。

銀聯を創設した中国国家は、本当にとんでもないシステムを創り出してしまったのです。

国際ブランドとしての地位を獲得!目指すはVISAカード

本来の機能はクレジットカードでは無く、デビットカードなのですが、ここまで利用度が進めば、もはやクレジットカードと言わざるを得ないでしょう。

発行枚数、利用金額どれをとっても、他の国際ブランドカードに負けていません。ですから、銀聯カードは国際ブランドとしての地位を獲得することになるのです。

銀聯が目指すのは、VISAカードのように「基軸通貨」として利用出来る「基軸カード」になることです。

そして、銀聯カードを介して、人民元を「基軸通貨」として世界に認知させることにあります。

中国人が利用するには最適なカードであり、中国国内で利用するには、必要なカードではありますが、VISAやMasterCardのような世界の誰もが持っていて便利なカードになるには、まだまだ遠い気がしますね。

銀聯は倒産することなく、成長し続ける国際ブランドなのです!

このように銀聯は、中国と言う国家が必要として作られた組織であり、その役割は今や決して無くすことの出来ない存在なのです。

世界で発行されている銀聯カードの枚数は45億枚!その銀聯カードが使えなくなること自体、考えられないことです。

政治的にはいろいろ問題はあるみたいですが、今後も銀聯は創設した中国と言う国家を基盤に、成長を続けていく国際ブランドなのでしょう。

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