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世界シェア第5位!純国産ブランド『JCB』を創設した男の物語

世界シェア第5位!純国産ブランド『JCB』を創設した男の物語

JCBと言えば、日本発の国際ブランドであるクレジットカード会社ですよね。世界の国際ブランドの中に、純粋な日本企業が発行するクレジットカードが存在することは、非常に誇りに思います。

その「JCB」を創設したのは「山田 光成」(やまだ みつなり)と言う人物です。1907年(明治40年)に誕生し、戦争でも生き残り「日本百貨サービス株式会社」(JCBの前身となる会社)を設立します。

山田の凄まじい生き方は、城山 三郎著書「風雲に乗る」の小説のモデルにもなった程です。

会員数8,600万枚、世界シェア5位のクレジットカード会社をどのように創設し、そして、育てて来たのか!?1987年に没するまでの、山田光成の生きざまを、様々な角度から振り返ってみたいと思います。

旅館業から出発したJCB!?戦後までの歴史をふり返ってみる

クレジットカード会社であるJCBの起源は、旅館業に始まります。特別な因果関係はありません。創設者である山田光成が最初に行った事業が、旅館業だったのです。

旅館を開業した直後に、第二次世界大戦が勃発し、幹部候補生としてマレー半島上陸作戦に参戦しますが、その後病気が原因で除隊となります。帰国した山田光成は旅館業を再開することとなるのですが・・・

先ずは、旅館業を再開するまでの歴史を振り返って見てみましょう。

山田光成は裕福な家庭に生まれていた

1907年(明治40年)4月22日、愛知県名古屋市栄町で、旅館を営む裕福な家庭の長男として誕生します。しかし、5歳の時、火事で実家が全焼してしまうのです。そして、その後父親が亡くなってしまいます。

しかし、それで路頭に迷うと言う事は無く、裕福な状況だったようです。成長した山田光成は、1930年(昭和5年)に慶応高等部を卒業した後、父親が残してくれた土地を売って事業を始めます。

JCBの創設者ですから、この時から金融関係の事業を起こしたと予想してしまいますが、実は、父親と同じ旅館業に就くのです。

23歳の時、「山田モト旅館」を開業し実質、実家の旅館業を引き継いだ形になるのでした。

1931年(昭和6年)旅館開業して1年足らずで、幹部候補生として軍隊に入隊してしまいます。第二次世界大戦が始まったのが1939年ですから、赤紙による招へいでは無かったようですね。

なぜ、旅館を開業した直後に、入隊したのかは判っていません。1931年と言えば、満州事変が勃発した年で、2年後には、幹部候補生制度も変更され手当の支給が開始された頃でした。

開業したけど、事業が上手く軌道に乗らなかったので、手当を目的に幹部候補候補生として入隊したのかも知れませんが、真実は定かではありません。

軍隊ではマレー半島上陸作戦に参加しますが、1943年(昭和18年)病気を発症し、これが原因で除隊となります。軍隊には12年間所属し、第二次大戦の戦火も生き延びています。この事実は、やはり成功者となる運命にあったのかも知れませんね。

JCBの起源となるアイデアを思いつく

除隊となった山田光成は、下呂温泉で旅館業を再開します。事業を再開したと言っても、戦時中です。ご存知のように、1945年(昭和20年)の終戦を迎える前と言えば、「欲しがりません勝つまでは!」と日本国中で物資不足に陥っていた時です。

決して順調な事業再開では無かったと想像出来ます。と、言うよりも前に、帰郷したとは言え、そんな時期に事業を再開しようと、思い立ったこと自体が不思議な状況です。山田光成には、何か考えがあって事業再開に踏み切ったのでしょうか・・

学生時代にはボクシング部で活躍していたことと、戦争を体験した影響で芽生えた、世の中に対する反骨精神がそうさせたのかも知れません。どうしてそのようなことを言えるのか、と言いますと、この時にJCBの起源となるアイデアを、思いついていたからです。

一生懸命働いても、お金が無ければ子供にお菓子も買ってやれない、しかし、人には「信用」と言う財産があるのだ。この発想から、「信用販売・月賦販売」のアイデアを思いつくのです。

戦時中と言う貧困の中「どうすれば人並みの生活を送ることが出来るのだろうか?」自身のことだけで無く、人のために考えた結果なのでしょう。それが、偉人と言われる人物の、発想なのではないでしょうか。

そして、1948年(昭和23年)41歳の時に、「日本百貨サービス」を設立するに至るのです。

日本信販も山田光成が創設した会社だった!

1948年に設立した「日本百貨サービス」ですが、正確に言うと、この会社がJCBの前身だった訳ではありません。関係は伴っていますが、「日本百貨サービス」は、なんと現在の「三菱UFJニコス」の前身だったのです。

驚くことに山田光成は、JCBだけでなく「三菱UFJニコス」の創設者でもあるのです。そう、有名な2つの会社の設立者だったのです!

魚の切り身までが対象とした商品戦略

山田光成が設立した「日本百貨サービス」は資本金40万円でスタートしました。当時の40万円を現在の価値にすると、約300万円ほどになります。

現代では、300万円と言えば普通のサラリーマンでも、何とかなる金額ですが、当時の40万円はかなりの大金で、誰もが用意できる金額では無かったのです。

そこまでして、設立した会社に、山田光成は確固たる自信を持っていたのです。地元名古屋で開業した時のキャッチフレーズは、「魚の切り身まで割賦で買える」と言うものでした。

それは、山田光成が思いついたアイデアそのもので、「たとえ現金を持っていなくても、魚の切り身でさえも、いつでも欲しい物が買える」と言った営業戦略だったのです。

この戦略は、見事に消費者に受け入れられました。大成功とまでは行かなかったものの、十分な手ごたえを山田光成は感じとっていたのです。

そして、地方ではなく東京で勝負すべく上京したのでした。

「日本信用販売」を設立!しかし、社長は山田光成では無かった

上京した山田光成は、1951年(昭和26年)東京で「日本信用販売」を設立します。この時の資本金は、1,000万円!現在の価値にして、約7,000万円です。

1954年から始まる「高度経済成長」も追い風となり、事業は順調に展開されて行きます。

そして、山田光成の新しい戦略は、設立時に既に仕掛けられていました。通常、自身が起業する場合、起業する会社の代表は自分自身で行なうのが常です。つまりは、社長には起業者自身が就任します。

ところが、山田光成が設立した「日本信用販売」の社長は、山田光成自身では無く、元一橋大学の学長を迎え入れ、その上の会長には前商工大臣(現在の財務省、金融庁の役割をしていた商工省の大臣)を迎えたのです。

山田光成自身は、取締役企画部長のポストで事業をスタートさせました。これには、いろいろな作戦があったのです。

当時の月賦は、「ゲップ」と間違われる程マイナーだった

当時は、絶対的な現金主義であり月賦(クレジット)など、誰も考えもしない時代でした。その中で、商売をするためには月賦と言うシステムを、国に認めてもらう必要があったのです。

山田光成は、当時の大蔵省の担当官にその重要性、必要性を説明しますが、担当官は「ゲップ?ラムネでも売るのか?」そう答えるほどに、マイナーなものだったのです。

また、名古屋では成功した山田光成ですが、全国的な知名度は無いに等しいと言わざるを得ません。そんな自分が社長をしても、会社の認知度は上がらないと考えての作戦人事だったのです。

  • 前大臣が会長である会社
  • 有名一流大学の学長が社長である会社
この人事は、会社の知名度と社会的信用を、一気に手中にする為の「コマーシャル戦略」だったと言っても間違いではないでしょう!

普通の人間には、出来ないことだと思いませんか?この作戦を考え付くこと自体、凄いことだと言えるでしょう。

山田光成の商品は、現在の信販制度を確立させた

日本信用販売の商品は、割賦購入の斡旋でした。簡単に言えば、正に現代のクレジット事業そのものです。

  • 1:顧客にチケットを配布する
  • 2:加盟店でチケットを使って買物をする
  • 3:利用客は分割で支払うことが出来る

どうです!?今のクレジットのシステムと同じでしょう。

販売の戦略も大変優れていました。加盟店は高島屋・松屋・白木屋など大手百貨店を獲得し、チケットを配布する顧客ターゲットは、一流企業や官庁の職員としたのです。

これだと、顧客の未払いなどで債務を背負うリスクは、極端に低くなります。結果として、利益の出る商売が可能となるわけです。

当然そこには、前大臣、前有名大学の学長と言うコマーシャル塔の存在が、大きいことはお判り頂けると思います。

それに加えて、高度経済成長で消費が増大していますから、山田光成が考え出した新しいシステムは、時代の波を確実に捉え、創設して直ぐに会員数が2万人を超えるほどに、世の中に浸透して行ったのです。

現在の信販システムを国内に定着させたのは、「日本信用販売」だったのです。そして、会社は1966年に「日本信販株式会社」と名称を変更し、現在の三菱UFJニコスとなって行くのです。

世界シェア5位になる為の基礎はこうして作られた

世の中に認められた信販システムは、その後も順調に会員数を伸ばして行きます。会社が軌道に乗った1958年(昭和33年)に、山田光成はやっと、「日本信用販売」の社長の椅子に座ることになります。

1951年設立当初の売上が、1億5千万円!この数字だけでも驚きの数字なのですが、その2年後の1953年、まさに高度経済成長期に突入しようとしていた年には、10億円の売上を記録します。

そんな中、山田光成には、更なるアイデアが浮かんでいたのでした!

株式会社日本クレジットビューローの誕生

1956年(昭和31年)には、売上高25億円を達成します。この時点で、間違いなく日本の大企業に成長していたのです。

そして、山田光成は次の新たなアイデアを実行に移します。それは、新しい会社の設立でした。しかも、今度の会社は出資を銀行にも依頼しての、大規模な会社の設立を計画していたのです。

1961年(昭和36年)1月26日、当時の三和銀行(今の三菱東京UFJ銀行)と自身の日本信販とで、「株式会社日本クレジットビューロー」を設立します。この時の資本出資割合はお互いに50%で、対等な関係を維持しています。

新会社での山田光成のポストは名誉会長でした。社長は、三和銀行から副頭取クラスの人物を採用しています。この関係をみると、発案者である山田光成の方が優遇されていたと捉える事が出来るでしょう。

「株式会社日本クレジットビューロー」は、山田光成の信販システムを取り込みつつ、銀行資本と言う強大な財政のバックアップを受けながら、事業を展開して行きます。

そして、既に国内で最初となる日本ダイナースクラブが展開していた、クレジットカード業界に参入して行くのです。

1967年(昭和42年)にアメリカン・エクスプレス社と提携して、国際カードの発行を開始します。この時は、まだ世界に認知してもらえるほどの、会社ではありませんでした。

JCBロゴマークの由来では、東洋信託銀行も設立に関与していた

JCBのロゴマークは、「青・赤・緑」のカーラーロゴとなっているのは、みなさんご承知のとおりだと思います。このロゴマークの由来を調べると、次のようになっていました。

  • 青:東洋信託銀行
  • 赤:日本信販
  • 緑:三和銀行
  • 何れも、設立に携わった会社

このようになっています。先ほどの説明では、「株式会社日本クレジットビューロー」は、三和銀行と日本信販の2社が、資本折半で設立したと説明しました。しかし、ロゴの由来によれば、東洋信託銀行も設立に関わっていたようです。

ロゴに表示されているのですから、確かな事実なのでしょう。

しかし、JCBのオフィシャルサイトでも、JCBのwikipediaにも、東洋信託銀行に対しての詳細は記載されていません・・

どうやら、東洋信託銀行は三和銀行他2社が母体となって設立された会社なので、三和銀行が関わった時点で必然的に、東洋信託銀行も関わることとなっていた、と言うことのようです。

山田光成が不帰の人となるまでのJCB

山田光成は、1987年(昭和62年)に享年79歳で、不帰の人となります。

日本信販とJCBの二足のわらじを履いていた山田光成は、どちらかと言えば、日本信販の方に力を注いでいたようです。

それは、JCBでの武勇伝より、日本信販での武勇伝が、語り継がれていることで判ります。

当時のトヨタ自販(今のトヨタ自動車)社長、神谷正太郎と組んで、自動車ローンを誕生させたり、マンションローンを定着させて、金融業界の屋台骨を作り上げたのも、山田光成だったのです。

信販システム・自動車ローン・マンションローン、これらは現代では消費者にとって、必要不可欠な金融システム・商品となっているのは確かです。日本における、クレジットカードの父と呼ばれる由縁は、実績を見れば良く判りますね。

一方、JCBでは次のことが実行されていました。この全ての出来事が、山田光成1人が考えたことでは無いにしろ、彼の影響は多大にあったと言えるでしょう。

  • 1968年:カード料金回収の為に、銀行口座からの自動引き落としを導入
  • 1978年:会員数は253万人、より多くの会員獲得の為「JCB」に社名変更
  • 1979年:リボルディング返済方式を導入し、社会の注目を集める
  • 1980年:「JCBギフトカード」の販売開始
  • 1981年:海外進出を果たし、国際ブランドとしての1歩を踏み出す

1987年までの、JCBでの大きな動きはこのとおりです。あえて説明をするとすれば、JCBはもともと「日本クレジットビューロー」 (Japan Credit Bureau) の英語読みの、頭文字を組み合わせたものです。

設立当時から、略称(愛称)として「日本クレジットビューロー」より、JCBの呼び名が浸透していたようです。因みに正式名称は「株式会社ジェーシービー」で、JCBはやはり略称のようです。

JCBが、現在の世界シェア第5位になって行くのは、1990年代に入ってからになります。しかし、山田光成が生前に残した財産は、JCBにとっても日本経済にとっても重要なものであり、山田光成がいたからこそ、現在のクレジット業界があるのだと言えるでしょう!

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決して安全な道を選ばない決意が成功する鍵に!

山田光成が歩んで来た道は、あえて危険な道を選んでいます。山田自身、「危険が多ければ、大きな成功を得る事が出来るのだ」と言葉を残しているのです。やはり、1つの大きな事(夢)を成し遂げる為には、安全な場所に身を置いていたのでは、成し得る事は出来ないと言う事なのでしょうね。

成功者の言葉を信じて、少しでも冒険が出来るように、日々頑張って生きてみましょう。
そうすれば、きっと夢に近づくことが出来ると思いますから!

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