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VISAの創設者ディー・ホック!実は神に愛された人間だった

VISAの創設者ディー・ホック!実は神に愛された人間だった

VISAの創設者ディー・ホック(Dee・Hock)をご存知な方は大勢いる事でしょう。そしてVISAをクレジットカード業界トップに押し上げ、その経営哲学は現代も脈々と受け継がれています。

素晴らしいアイデアの持ち主であり、行動力、人間性、その全てが万人とは異なる一種の天才と言える人物である事は、間違いありません。

でも、実は数少ないチャンスを自分のものにした人間の1人であり、言い換えれば「神に愛された人物」だったのです。

ディー・ホックがもし、バンク・オブ・アメリカに就職していなかったら、今のディー・ホックもVISAもこの世に存在していなかったかも知れないのです。

ディー・ホックがものにした、チャンスとは一体なんだったのか?
神に愛された事とは何だったのか?

今まで語り継がれてきた情報とは、違う側面からディー・ホックの人生を追ってみました。

偉大な人物であるにも関わらずWikipediaも無い事実

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VISAを創設したディー・ホック(Dee・Hock)は、1991年「Junior Achievement’s U.S. Business Hall of Fame」を受賞しています。これは、ビジネス界の功労者に贈られる賞です。翌年の1992年には、「過去四半世紀に人々の生活を大きく変えた人物8」の1人にも選ばれています。

その他にも多くの賞を受賞していて、2013年には「LIFETIME ACHIEVEMENTアワード」を受賞しています。ビジネスの世界では、ディー・ホックを知らない人は、いないでしょう。

なのに、ディー・ホックの生い立ちや、歴史はあまり公表されていません。WEBの広辞苑と呼ばれる「Wikipedia」にでさえ、情報は公開されていないのです。

経営哲学の中にある「神秘性」が影響しているのかも・・

ディー・ホックの経営哲学の中に、「より良い組織とは、情報が広まり過ぎていないこと」と言う言葉があります。

組織も多少の神秘性を持つ事が重要である。との考えから、VISAの詳細な情報やディー・ホック自身のプライバシーを、公開しないようにしていたのです。

ディー・ホックがVISAの創設者となったのは、1976年(昭和51年)です。もちろん、当時はインターネットなどは無い時代なので、情報社会と呼ぶことは出来ません。

そんな時代に、ディー・ホックは「情報」というものに対して、このような考えを持っていたと言う事になります。それは、まるで現在の「情報社会」を予想していたかのように思ってしまうのも、考えすぎでは無いように思えてしまいます。

ディー・ホックは、非常に変わった少年だった

1929年ユタ州のノースオグデンと言う山間の村で、ディー・ホックは誕生しました。この1929年は、アメリカのウォール街で株の大暴落が起き、世界恐慌となったはじまりの年です。

少年時代のディー・ホックは、普通の子供とは違い、非常に変わった少年だったようです。

  • 外で走り回って遊ぶ事は嫌い
  • 大勢と楽しむ事は嫌い
  • 規則や伝統を重んじる事は嫌い
  • 大人から、何かを強いられる事は拒絶
  • ひとりで過ごす時間が好き
  • 合理性や有益性のある事は好き

これらを見ると、とても「子供らしい少年」とイメージは出来ませんよね。事実、子供らしく無く、素直でないディー・ホックは、大人たちからはあまり好かれる事は無く、周囲では常に浮いた存在であったようです。

このような少年時代に形成された、彼の思考にも情報の少なさが影響しているのかも知れません。

バンク・オブ・アメリカとの出会いは神に愛された証拠だった

大変変わった少年時代を過ごしたディー・ホックは、大学へと進学するのですが、ここで、他のクレジットカード会社の創業者と、異なる事実を紹介しておきましょう。

ディー・ホックはごく普通の家庭に生まれた男の子

ディー・ホックは、決して裕福な家庭に生まれた訳ではありませんでした。と言っても逆に極貧な家庭でもなく、普通の家庭に生まれたのです。

他の創業者がサラブレッドであったり、元々上流階級の出身であったりするのですが、ディー・ホックは普通の家庭に生まれた男の子だったのです。

つまり、自分のお金でVISAを創設させたのでは無く、一般の人達と同じように、サラリーマンをしている中でVISAを創設するに至るのです。

ディー・ホックの発する言葉が、誰の言葉より強く私たちの心に響くのは、サラリーマンだったからなのかも知れません。ここで、ディー・ホックのサラリーマン時代を遡ってみて見ましょう。

ディー・ホックは、転職を繰返すたびに成長する人間だった!

大学を卒業したディー・ホックは、なかなか1つの職業に落ち着く事は出来ませんでした。出来なかった、と言うより「しなかった」と言ったほうが正しいのかも知れません。

最初に勤めたのは食肉処理場でした。ディー・ホックは、高校時代に付き合っていた恋人と、早くに結婚をします。生活費を稼ぐ為に、最初に選んだのは「給料の良い職業」だったようです。

しかし、この食肉処理場は直ぐ辞めてしまいます。理由は定かではありませんが、生々しい仕事内容に耐えれなかったのでは・・と言われています。

次の就職先は、煉瓦建築作業場です。ここでは、自分の存在意義を見出す事が出来ない絶望感を覚え、早々にこの職場も去っていく事になります。

ついに金融関係の会社に就職する

ディー・ホックは、夢を持っていました。夢と言うより信念と言ったほうが良いかも知れません。

「自分には、他の人間にない才能があり、必ずBIGな人間になれるのだ!」

このように、自分自身を評価し、自分の才能を発揮できる場所を、追い求めていたのです。

そして、今度は地元の小さな消費者金融会社に就職をします。当然、「BIGな人間になる」夢を持って!そして、ディー・ホックは、この金融業界の中で転職を繰返す事になるのです。

その転職は、自身のステップアップを、見事に成し遂げる転職となったようです。転職の度に、就職する会社の規模は大きくなり、ポストも地位の高いポストでの就職を果しているのです。

ディー・ホックのアイデアは全てが「正解」だった

ディー・ホックは、転職のたびに「組織」について深く考え、その会社の組織改革を行なうアイデアを常に出し続けていました。

・なぜ組織は次第に問題を処理できなくなるのか
・なぜ個人は、自分が所属する組織と対立し、疎遠になっていくのか
・なぜ社会、生物圏はますます混乱していくのか

引用元:BLanking:ディー・ホック著「混沌と秩序」紹介文より

常にこれらの答えを求め、会社に対しアイデアを出して行くのですが、そのどれもが採用され、実行されているのです。つまり、ディー・ホックのアイデアは、常に「正解」だったと言う事なのです。

ある会社では、ディー・ホックが提案したアイデアは、25年以上経った今でも、実際に上手く機能していると、伝説的な意味も含めながら語られています。

バンク・オブ・アメリカとの運命の出会い

ディー・ホックのアイデアが伝説的に語られるのは、現在に至ってからになります。それは、VISAを創設し「世界No1のクレジットカード」に成長させたディー・ホックの功績があるからなのでしょう。

もしも、ディー・ホックが成功した人間でなかったのなら、アイデアが伝説的に語られる事は無かったと思います。それよりも、そもそもVISAカード自体が、この世に存在すらしていない事になってしまうでしょうね。

そんなカリスマ的な、人間になる為のチャンスがディー・ホックに訪れます。転職を繰返し、ステップアップして来たディー・ホックは、1968年には、ワシントン州にあるバンク・オブ・アメリカの子会社銀行「ライセンス・バンク」の副社長の地位にありました。

そしてついに、バンク・オブ・アメリカ自体の「カード対策会議」に参加をする事になるのです。この会議に参加出来た事が、ディー・ホックがBIGになる運命の出会いだったのです。

ディー・ホックが参加した「カード対策会議」とは

彼が参加した「カード対策会議」とは、どんな会議であったのかを知っておかなければいけません。少し簡単に、ご説明しておきましょう

バンク・オブ・アメリカは、1958年既にクレジットカード「バンカメリカード」を発行していました。ダイナースが世界で初めてクレジットカードを発明し、発行したのが1950年なので、遅れること8年での発行となるのですが・・

ダイナースはT&E分野でのクレジットカード展開だったのに対し、「バンカメリカード」は銀行系分野でのカード展開を行なっていました。つまり、エンタメなどのサービスを重視しないで、主にサラリーマンに対し金銭的サービスを重視する分野だったのです。

この分野に、1960年Master Charge(現在のMasterCard)が登場してきます。そして競合会社との競争や、その他、様々なマイナス要因が重なり、バンク・オブ・アメリカは「バンカメリカード」での負債損失が巨大になる一方だったのです。

この状況をどう打開するか!?バンク・オブ・アメリカにとって最も重要な会議が、「カード対策会議」だったのです。

革新的なディー・ホックのスピーチに巨大組織が動かされる

その出会いの場で、ディー・ホックは革新的なスピーチをします。現在もそうですが、当時のバンク・オブ・アメリカと言えば、アメリカでも最大手のBIG企業です。

その企業の重要な会議で、ディー・ホックは革新的なアイデアをスピーチしたのです。これは、前代未聞の事であり、出席者の誰もが驚いた事だと語られています。この会議での顛末は次のとおりです。

末席にあった、ディー・ホックが突然立ち上がり・・

「中央集権型の組織が、全くうまく機能していないのが最大の原因だ!」

と、スピーチを始めたのです。その内容は、当時の経営方針を真っ向から否定する内容で、そのような事を唱えるなど、正気の事ではなかったと言われています。

  • 非中央集権型の組織を作るべきだ
  • 組織は参加者を所有すべきではない
  • 上下の無い参加者が組織を所有すべきだ
  • その参加者は公正な権利と義務を持つべきだ

スピーチはこのように続いていきます。あまりにも革新的過ぎる内容に、憤慨する者も当然います。しかし、ディー・ホックのスピーチは、状況を的確に指摘していて、組織改革を行なうしか方法が無い事は、誰もが思っていた事だったのです。

彼のスピーチは、会議に参加していた上層部に認められ、「カード対策委員会」が発足する事となり、ディー・ホックはその委員長に抜擢されたのです。

彼の勇敢で完璧なスピーチが、バンク・オブ・アメリカと言う巨大組織をも、動かす結果となったのです。

ついに、VISAが誕生する!

ディー・ホックの夢「必ずBIGな人間になる!」その夢がついに叶う時が来ます。

「カード対策委員会」のトップであるディー・ホックは、持ち前のアイデアと技法で、たちまち委員会を統率し、牽引していきます。そして、バンク・オブ・アメリカに対して、とんでも無いアイデアを要求する事となります。

1:バンク・オブ・アメリカのクレジットカード所有権と、ライセンスプログラムの支配権を放棄する事。
2:新会社を設立し、加盟銀行にクレジットカードの運営を全て任せる事。

これは、バンク・オブ・アメリカに対しての挑戦状とも言えるものでした。当然、すんなり認められるはずはありません。それでも、ディー・ホックは説得を続けます。

  • クレジットカードを生み出した親会社は一歩下がらなければならない。
  • 加盟する金融機関が対等な立場でブランドを管理する必要がある。
  • 非営利組織が中心にならなければ、上手く行く事はない。

この事を重点的に説得を続けた結果、現在のVISAの前身でえある、ナショナル・バンク・アメリカが設立され、ディー・ホックはCEO(最高責任者)に就任するのです。

まさに、ディー・ホックの夢であった「BIGな人間」に成る事が出来たのです!

バンク・オブ・アメリカとの出会いは神に愛された証拠!

このように、ディー・ホックがナショナル・バンクのCEOに就任し、VISAカードを世界No1のクレジットカードに成長させる事となるのですが、ディー・ホックが成功するには、バンク・オブ・アメリカ以外のどこであっても無理だったと言えるでしょう。

バンク・オブ・アメリカだったから、ディー・ホックのアイデアが生きて成功したのだと言えます。その出会いは、偶然ではなく、ディー・ホックが神に愛されていたからこそ、出会えた事だったと言えるのです。
  • 既にバンカメリカードを発行していた。
  • バンク・オブ・アメリカはカルフォルニア州で営業していた。
  • 業務の集中処理化が既に行なわれていた。
  • 小切手の自動処理、口座番号、磁気インク文字認識(MICR)など、最先端の技術開発が既になされていた。
  • 女性が自由にお金を使えるよう、女性部門の設立を行なうなど積極的な経営だった。

このように、バンク・オブ・アメリカ自体、パイオニア精神に満ちた画期的な銀行だったのです。

カルフォルニア州は、第二次大戦後に最も急速に経済成長を遂げた州だったのです。その州にバンク・オブ・アメリカがあった為に、あらゆる先端技術が開発されていたのでした。

もし、ディー・ホックが出会った銀行が、他の銀行だったら・・きっと彼のアイデアは黙殺されていたでしょう。万一、アイデアを採用したとしてもクレジットカードの基盤そのものが無ければ、今のVISAカードは誕生していません。

ですから、ディー・ホックとバンク・オブ・アメリカの出会いは、彼が神に愛されていた人間だからこそ、彼が必要とする最適な環境を、提供してくれたのではないでしょうか!?

VISAカードが世の中に愛された理由

神に愛され、ついに夢を叶えたディー・ホック。しかし、彼の凄さはここから始まるのです。

ダイナースでも、アメリカン・エキスプレスでも、MasterCardでもなく。世間が認めたクレジットカードはVISAカードでした。

では、VISAカードは他のカードと何処が違っているのか?どの点が気に入られる結果になったのか?その辺りを探って見たいと思います。

斬新な組織体制と万全な協力体制

ナショナル・バンク・アメリカの組織体制は、非常に斬新的なものでした。先ず、これまでの「バンカメリカード」の名称を、社内公募にて「VISAカード」に変更します。

組織は高度に分権化されていて、通常、判断を下すには上層部の人間の決済が必要であり、決定に時間がかかっていた事が、分権化することでスピーディーな対応が可能となるのです。

これは、多様化するクレジットカード業務に求められる課題であり、ディー・ホックは見事にこの課題をクリアしてしまったのです。

また、加盟メンバーたちのモチベーションを向上させる為に、次のアイデアを使用しています。

【加盟メンバーは自由に価格、市場を決める事が出来、VISAの名の下に自分達の商品を自由に提供しても良い。】

このアイデアは、世界展開を行なうためには、必要不可欠な事だったのです。それは、国や地域によって、使用する貨幣、言語、法律、文化、風習、政治的背景が全て異なる為、様々な対応を求められます。

それをVISA自身が考え指導し、加盟店を縛り付けるのでなく、加盟メンバーの裁量で自由に競争させる事で、国や地域に適合した商品、決済を簡単に作り出す事が出来たのです。

簡単な事のようですが、組織としてはリスクを伴う大変怖い事であり、そう簡単に実行できる企業はいないでしょう。それを当時実行したディー・ホックは、やはり凄い人間だった事を証明しています。

「24時間電子認証システム」が、ゆるぎない地位を獲得する

世界発行枚数10億万枚、利用額1.6兆円までに成長したVISAカード!その躍進の起源となる出来事が1973年に起こります。

ディー・ホックは、電子的オーソリシステムであるBASEIの運用開始に伴い、24時間オンラインでの認証体制を確立させました。

このことは、世界初のグローバル規模での試みであり、全世界から注目を浴びる結果となります。そして、翌年の1974年に国外の金融機関に対し、「バンカメリカード」のライセンス供与を開始し、このカードは世界規模で普及していく事になるのです。

その2年後、社名をVISA(Value Issuer Service Area)に変更し、現在のVISAカードに至る事になるのです。因みにVISAの由来は・・

「各国地域の市場ニーズに合わせた、貨幣価値を、国際決済サービスで提供する世界通貨」を意味して付けられています。

確かに、現在のVISカードは、世界各国どの国でも利用でき、その国の通貨を持っていなくても、VISAカードがあれば商品を購入する事が可能です。その点から言えば、「世界通貨」と呼んでも過言ではないでしょう。

VISAのシステムは1980年代初期に、当時世界最大であったMasterCardを追い抜きます。そして、名実ともに世界のトップに躍り出るのです。

ディー・ホックの難しい哲学は・・実はシンプルな内容だった

MasterCardを追い抜き、VISAカードを世界のトップにした男、ディー・ホック!VISAを世界のトップに押し上げた後、1984年にVISAの経営から引退してしまいます。

1968年にナショナル・バンク・アメリカを創設させ、1976年VISAインターナショナルに改名し、たった16年で経営トップから引退をしてしまったのです。

VISAでの仕事は全てやり尽くした

ディー・ホックは、55歳で引退する時、その理由を次のように語っています。

自分が目標とし計画したことは、すべて実りを結んだ。VISAでやりたいこと、やるべきことはすべてやり尽くした。だからもうVISAに留まる理由も、情熱も失せたのだ。

引退の理由を、このように語っています。しかし、本当は次の新しい夢を実現させる為に、ディー・ホックお得意の「転職」をしたに過ぎないのでしょう。彼にとっては、夢は死ぬまで追い続けるものなのでしょうね。

2000年に発刊された「混沌と秩序」は教科書的な存在に!?

ディー・ホックの今度の転職先は、「ケイオーディック・アライアンス(The Chaordic Alliance)」です。今度は、サラリーマンでは無く自ら非営利団体を設立してしまいました。

仕事の内容は、世の中の全ての組織改革を行なう仕事で、新しい組織概念の発展を目指す仕事を行っています。

Chaordic、「混沌(Chaos)と秩序(Order)」をコンセプトに、組織概念の構築を請負い、多くの講演や、執筆活動を精力的に行なっているのです。その活動の中で、2000年に著書「混沌と秩序」を出版し、世の中に大きな反響をもたらせました。

なにせ、これまでプライベートな情報は封印され、有名であるのに情報の少ない人物だった彼から、直接メッセージを発信されたのですから、世の中が騒がない訳がありません。

現在「混沌と秩序」は、経営者のみならず、多くの人々の教科書的な存在となっているのです。

難しい内容も、1つの事を読み解けば答えはシンプルだった

教科書とまで呼ばれている「混沌と秩序」ですが、内容は難しい事柄が多いです。経営者ならいざ知らず、一般人の私が理解しようとすると・・頭がオーバーヒートしてしまいます。

有名人の出した本だから、世の中で「凄い!」と言われている本だから、きっと凄い事が書かれているんだ。と、内容を理解できなくても、潜在意識の中でそう思っている方も多いことでしょう。

しかし、その中でも1つの事柄を読み解けば、実にシンプルな答えに辿り着くことが出来ました。

「普通で、特に才能の無い人間でも、夢を持ち決意ある挑戦を行い、適切な環境を得る事が出来れば、必ず優れた事を達成出来るのだ。」

との一説が書かれています。(和訳の際の言い回しが、若干異なりますが・・)この言葉の意味を理解した時、ディー・ホックの偉大さを確信する事が出来たのです。

「普通で、特に才能の無い人間でも、夢を持ち決意ある挑戦を行い」この意味は、大概の人が理解できる言葉だと思います。そして、次の「適切な環境を得る事が出来れば」のこの部分に大きな意味があるのです。

ディー・ホックは神に愛されて、バンク・オブ・アメリカと出会うことになります。この事が彼の言う「適切な環境」であったに違いありません。

つまりは、自分の夢を叶える為には「適切な環境」が必要であり、その「適切な環境」を得る為には、ただ待っていてはダメで挑戦する事で、環境は与えてもらえる事になるのです。

「夢を持ち決意ある挑戦」を続ける事で、その環境は神から、与えてもらう事が出来る。「夢と決意」を持ち続けて、努力(挑戦)をする事が、唯一の手段なのだと。


この事を理解出来た時には、「なるほど!」と納得出来ましたし、「勇気」が沸々と湧いてくるのを感じ取る事が出来たのです!そして、環境が整えばあとは、がむしゃらに行動あるのみです。そうすれば、更なる新しい環境が与えられる事になるでしょう。

夢を持ち続け挑戦し続ければ、夢は実現できる!

ディー・ホックのように「神に愛される人間」になるには、「夢と決意を持ち続ける事」が重要なのです。

誰もが、夢を実現する事は難しいでしょう。しかし、夢を持ち続ける事は誰でも出来る事なのです。諦める事無く、努力(挑戦)し続ける事が、夢を実現できる唯一の方法であると言うことを、ディー・ホックから学ぶ事が出来ました。

そして、環境が変わったと感じた時、その時がチャンスが到来した時なのです。そのチャンスを掴む事が出来れば、「夢は叶うのだ」と、そう思います。

夢を諦める事無く挑戦していれば、誰もが「神に愛される資格」を持つ事が出来るのです。

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